昭和58年・夏
その年の5月4日、寺山修司が急死した。
青山での葬儀には都合がつかず、欠席した。
同じ年の1月の大雪の日、彼と同じく母子家庭だった私の母が病死していた。
世間のすべてを敵みたいに闘っていた目標が重なって消え、無気力状態が続き、事務所を閉じ、一年間田舎に蟄居した。
彼の初盆に札幌から上京し、喪主である彼の母はつさんに持参した大きな生花は「修司は
外国旅行中」ときつい顔で受け取ってもらえなかった。
20年の御無沙汰の後悔と真夏日の汗がどっと吹き出し、捨てるわけにもいかず、花を抱えて、麻布をうろついた。
あれから、40年恐山の麓で句会をするから、君もこないか、と声がかかりそうな気がしてならない。