昭和28年 日本が戦後間もなくすべてが貧しい時代に寺山修司17歳、山形健次郎16歳の時、俳句の投稿を通して知り合い、お互いの才能を切磋琢磨しながら、青春を謳歌した2人。

寺山修司が高校生の時に発刊した、伝説の青春俳句集「牧羊神」の創業メンバーでもある山形健次郎と寺山修司との書簡のやり取りが10年間続いた。

山形健次郎が発刊した句集「銅像」は寺山修司が「火を創る少年」と評して、跋文の第1号となる。


寺山修司跋文

彼は— いってみれば火を創る少年である。そして、数少ない私の親友の一人であると同時に「牧羊神」中でも第一線のアバンギャルドであり、俳壇の怖しき子供(アンファン・テリブル)でもある。彼の内部に燃えているものが明日を形成する一粒の麦であることも無論いうまでもない

句集「銅像」

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