寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年昭和10年〉12月10日 – 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本歌人劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。

「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、歌人、脚本家、演出家、映画監督、写真家、エッセイストと多彩な顔を持ち、どの分野においても世界的に評価されており、他界して40年近く経った今でも熱狂的なファンがいることで知られています。

寺山修司は職業を尋ねられると「寺山修司です」と答えていました。それは、彼の生涯持ち続けた問い「私とは誰か?」に対する答えの一つであったとも思われます。

1983年5月4日永眠。葬儀に団員が遺言とも言える最後の演出作品「レミング」の一部を唄い、送りだしている。

一番最後でいいからさ
世界の涯てまで連れてって
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